大企業を辞めて起業したから、留学時代に抱いたモヤモヤ感を「デジタル窓」の形にできた

Atmoph Window 2 姜氏

デジタル窓「アトモフウィンドウ」を開発したアトモフ株式会社。クラウドファンディング予定額をわずか2日間で達成し注目を集める同社であるが、そのアイデアの種は創業者の姜京日(かん きょうひ)氏がなんと留学中に生まれたものだったそうだ。姜氏がどのような留学生活を送っていたのか、また起業に至った経緯を詳しく伺った。

Atmoph Window 姜氏

姜京日氏プロフィール

ロボット工学を専門に、青山学院大学にて機械工学の学士と南カリフォルニア大学 (USC) でコンピュータサイエンスの修士を取得。その後NHN JapanでUser Interface Technology室を率い、任天堂にてゲーム機器のオンライン関連UIの開発を行う。東京生まれ、ブラジル音楽が大好き。

ロボットが好きだった学生時代から留学

―東京出身でいらっしゃるんですね。

はい。任天堂時代は関西にいましたけど、それが初めての関西でしたね。東京では上野の近くの下町に住んでいて、大学は青山学院大学。大学時代から留学したいという思いは持っていました。大学卒業してそのまま留学しましたね。留学先に選んだのは南カリフォルニア大学(USC)です。

―留学のきっかけになるような出来事があったのでしょうか?

母が昔アメリカに留学していたし、親戚にも留学していた人が多くいたので昔から海外は身近な存在でした。小学生の時にアメリカへサマーキャンプしに行ったりもしていましたね。それに重ねて、ジャズ、ロックやアメリカ映画などのアメリカ文化も大好きだった。だから、アメリカに行くのは必然だったと思います。

―そしてロボットも好きだった。

はい。だからロボットの分野でアメリカに行こうと思いました。心のどこかで漠然とアメリカに行きたいと思っていたけど、大学3、4年くらいの時に、アメリカに行くなら大学の成績も重視されるので、途端に焦りだしましたね。向こうの大学院入試の試験準備とか。必死でやってギリギリで間に合わせました。

希望の大学院が5つあって、唯一合格したのがUSCでした。アメリカに留学してた母も昔カリフォルニアに住んでいたので、カリフォルニア好きだしいいな、という思いもあって日本の大学を3月に卒業してその年の9月にはUSCに入学しました。カリフォルニアは暖かくて気候もいいし、開放的だし、今でも好きな街ですね。

PhDへの進学を諦めて苦労した留学時代

僕は昔からガンダムとかドラえもんが大好きで、将来はロボットの研究者になりたいと思っていたんですよ。研究者になるには博士号はスタートラインだから、絶対に博士号取ってやろうと思ってUSCに入学したんですね。

けど、結果からいうと実力が足りなかった。やっぱりそういう世界には天才的な人がいるんですね。彼らは次元が違って、すごいロボットを自作したりロボットに搭載するAIを開発してたりするんです。しかも、彼が作ったプロダクトがすでに世界中の人に使われている。だから、自分にはそういう研究は向いてないなということに気づいて修士号を取ったところで帰国しました。

―それはいつごろの出来事だったんですか?

留学して2年目くらいですね。最初は授業が英語でついていくのが大変だし、日本の大学では機械工学部というところで研究してたんですけど、USCでの所属はコンピューターサイエンスっていう全然違う課に変わっちゃったりして。キャッチアップするのにいっぱいいっぱいだった。

そんな中、研究室に数名天才がいて、これが全米にはもっといて…と思うとやっぱり努力ではかなわない領域があるなと悟った。研究って、そういう天才的な奴が一生かけて淡々と研究していく世界なんですよね。それって自分がやりたいことじゃないかもしれない、と思ったんです。

だって、本当にやりたいことなら2番手でもやり続けることはできたかもしれません。それができなかった。

―留学中はどんな生活をしていましたか?

大学の近くのアパートに暮らしていて、学校行って、家帰って宿題やって、研究室に行って、みたいな生活でした。かなり地味な生活をしていたと思います。

―日本人学生はどれくらいいらっしゃいましたか?

コンピューターサイエンスで修士に行くのが5人くらいだったかな。日本人留学生はだんだん少なくなってきていて、中国、韓国、インドのお金持ちが多かったですね。

そんな中で、修士課程は普通研究室には行かないんですけど、自分は博士課程に行くと心に決めていたので、無理を言って研究室に入れてもらっていました。みんなは研究してないのに授業プラスアルファで研究もやって。授業の負担と、研究しなきゃっていうプレッシャーで結構ストレスが溜まっていたと思います。

ストレスから部屋の中に景色を求めた時期

そうやって上手くいかない時に、負のスパイラルにはまっちゃって、なんでこんなことやってるんだろう、自分の夢って何なんだろうって考え始めちゃったんですね。ただロボットが好きなだけだったのにって。

夢にとらわれすぎて、自分で自分のレールを敷いてたんじゃないかって気づいたんですよね。

その時自分の住んでたアパートは、窓はあったんですけどとても小さくて、隣のアパートしか見えないんです。向こうからも丸見えだからいつもブラインドを閉めていた。自分が好きなカリフォルニアって、本当はビーチとかヤシの木が綺麗で、ボサノヴァとかサンバが似合う、空が華やかな感じなんですよ。でも、この部屋はカリフォルニアなのにそれがないなって。

―それがAtmoph Windowのアイディアになった?

まだ窓の形にはなってなかったですね。とりあえずMacのデスクトップをビーチに変えるところからスタート。とにかく閉塞感を打開したかった。それで窓の形にはならないんだけど、デスクトップを沖縄にしたり、環境系のDVDを流したり試行錯誤しました。これが原点でしたね。

当時VRのブームが来ててそれも試したけど、VRを外したら現実が待ってるのでこれも違うなって感じでした。結局そのタイミングでは答えが出なかったですね。

それで、博士課程に行くのはやめて日本に帰国することにしました。ロボットの研究者という夢はもうなくなったから、日本に貢献しようかなというぼんやりとした思いを抱いて。アメリカは当時イケイケだったし就職も難しくなかったですが、日本で新しいことをやることに決めました。

Atmoph Window 姜氏

 (当時辛かった思い出があったLAですが、今は社内でこんな張り紙も。「将来はLA支社を出したいですね」)

卒業後から独立まで

日本に帰って2~3年くらいはフリーランスのような形でサイトの受託をしていたんですが、「これじゃ、あかん」と思ってNHN Japanに就職しました。フリーランスの間もずっと、まだ窓のイメージになっていないあのモヤモヤを解決したいなっていう思いはあった。けど、方法が分からなかったんですね。その思いを抱えたままNHNに入社しました。仕事をしていく中でiPadが登場して、これにビーチを映したらいいんじゃないかとか思うんですけど迫力に欠けるんですよね。iPhoneとか色々試したけど全部だめで、これはもう窓を作ればいいんじゃないかってこの時期にやっと考え始めました。

でも当時は液晶ディスプレイが分厚くてとても窓って感じじゃなかった。任天堂に転職してフロントエンドエンジニアという仕事を担当して、ユーザーインタフェースを改良するという仕事をやりました。この時のUX的な観点が窓の開発にすごく役に立ちましたね。

実は任天堂に入った時にはすでに「やるなら窓かな」となんとなく考え始めていて、ちょうどその頃に4Kカメラが爆発的に安くなりはじめたんですよ。窓を作るなら4Kカメラの画質は必須だと思っていたので、自分が窓を作るのに必要と考えていた要素、4Kカメラ、パソコン、液晶がすべて『薄く安く』の方向に向かい始めたので、今がその時だ、と。見切り発車ではあったけど、他の誰かがやる前にやらないとという思いが先立って、すごい雑なプロトタイプを作ったんですよ。カラオケボックスに呼んで披露したんですけど、賛同してくれた。それが今の共同経営者です。

Atmoph Window 姜氏

(共同創業者の中野さんと、3つに並べたアトモフウィンドウの前で)

起業について

―優良企業の任天堂を辞めるのにためらいはなかった?

ここで辞めないと、へたしたらおじいちゃんになって「あのデジタルな窓を作ったのは本当はワシじゃ!」みたいに、市場でそれが当たり前になった頃に言うのは嫌だった。起業する怖さもあったかもしれないですが、やらないと後で人生後悔するという思いが上回りました。

―起業する人には、一切考えずに何とかなるだろうって人と、貯金もあるし再就職もできるし、という人の2タイプに分かれると思いますが、姜さんはどちらでした?

貯金もないし、結婚もしてるし、子供もいるし、勢いでしたね。結局、妻も一緒にやってます。妻はやっぱり「えっ?」ってなりましたけど、自分の熱意を何か月もかけて説得して。最後には折れてくれたという感じです。「そこまで言うならもう、応援する」と言ってくれました。

あとは、妻はデザイナーで、父はカメラマンで自分のスタジオを大阪に持っていて、サラリーマンじゃないので独立に対する恐怖心ももともとなかったのかもしれないです。

―周囲の反対はなかったですか?

当時35歳でさすがに親バリアみたいなものはなかったですけど、1年ぐらいやって何も進展せずにダメだったら就職なりバイトなりで生きていこう、何かしら働き口はあるだろうからと考えていました。

最初はVCに行ったりしたけど、前例がないので断れましたね。そんなの欲しいの君だけだろうと。それでクラウドファンディングに挑戦した。そしたら賛同してくださる方がいて、もうやるしかないって踏ん切りをつけることができました。

Atmoph Window 姜氏

(2019年6月時点でクラウドファンディング中の新型のAtmoph Window2と)

留学生へのメッセージ

―留学は起業に役に立ちましたか?

はい、それはめちゃめちゃ役に立ってます。視野が広がって、世界の広さも分かったし、英語への抵抗感もなくなった。クラウドファンディングに成功したキックスターターも英語ですしね。

エンジニアとかインターンで海外から来てくれている人が数名いますが、そうした感覚もつかめなかったかもしれない。

―起業って怖くないですか、って学生に聞かれたらどう答えますか?

今時大企業も潰れるし、リスクはそう変わらないんじゃないかな。特に若ければリカバリーもきくから。もちろんスタートアップは失敗の可能性も大きいけど、その分オッズも大きいから成功した時のリターンははかりしれない。むしろ、大企業にずっといるよりリスクは少ないかもしれない。日本の会社もだいぶ変わってきていて、後でもっといい待遇で雇ってもらえるようなこともある。

自分は今でも愚痴おじさんにはなりたくないという思いが強い。やりたいことはやったほうがいいですよ。後悔しないように。

―愚痴おじさんにはなりたくない、名言ですね。ありがとうございました。

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