「起業は特別なことではなかった」。フィラメント森澤氏がMBA留学で見つけた未来へのカード

ITを学んだ後、イギリスに留学。帰国後の仕事先で目にしたのは、外資系企業でMBAホルダーたちが活躍する姿だった。企業でのキャリアアップを求めて行ったはずのMBA留学で見えてきたものとは何か。そしてその先にあった出会いとは?

フィラメントのスタートアップメンバーであり、「The DECK」CEOとしてもご活躍の森澤さんに、ジョインまでの経緯と、若者たちへのメッセージをお話しいただきました。

プロフィール
Filament, Inc. 取締役、The DECK INC.代表取締役CEO 森澤 友和

HULT International Business Schoolのロンドン、上海、ドバイの各キャンパスで学び、2015年 MBAを取得。

在学中のインターンシップを経て、2015年9月設立間もないFilament, Inc.に参画。 「自ら変革しようとする人を創り、その変革を導く」ことをミッションとして新規事業開発支援プロジェクトに従事。2016年に立ち上げた企業アライアンス型コワーキングスペース、The DECKでは、2018年から代表を務める。ものづくりスペースやイベントスペースを備え、「Make It Happen」を掲げてさまざまな想いが実現できる場所として関西では稀有な存在として知られている。

ITからビジネスの世界へ。MBA取得をめざして

――ご出身はどちらですか。

生まれは高知市です。そこで高校生まで過ごしました。卒業後は地元の国公立大学に進学するつもりだったのですが、高校3年生くらいから、IT系に進みたいと思い始めました。高知大学への進学を目指す約束をしていた両親に対し「新聞奨学生という制度があるから、行かせてください」といって、大阪の専門学校に進学させてもらいました。毎朝2時起きの朝刊配達と、授業後に夕刊配達と翌日の折込チラシをセットするという生活を4年間続け2年目からは自分で授業料と生活費を賄っていました。

その後、就職しようと思えばできたのですが、専門学校在学中から海外、特にロンドンのカルチャーや音楽にあこがれがあって、留学したいと思ったんです。就職せずに1年間外資系企業でヘルプデスクのアルバイトをして、その後イギリスに行くことにしました。

――海外はそれが初めてですか?

はい。最初申し込んだのは、2週間のウェールズへの国際ボランティアプログラムです。国立公園の歩道の整備をしたり、地元の小学校に異文化交流の一環で日本の文化を伝え、それを他のグループに発表してもらうような内容でした。

それから縁あって、オックスフォードで語学学校に通いながら4カ月過ごし、その後ロンドンに行くことにしました。ロンドンでは「語学学校に通うのも面白くないな」と思い、治験をやっている日系企業でアルバイトをしながら、シスコのCCNAコースでコンピュータのネットワーキング分野を学ぶことにしたのです。

そのままロンドンにいてもよかったのですが、テロが起きるといううわさが割とリアルにありましたし、実際帰国の翌年に起こりました。日本に彼女がいたこともあって「一回日本に帰ろう」と思い、大阪の、外資系製薬会社向けのシステムを作っているところに就職を決めました。

「起業は特別なことではなかった」。フィラメント森澤氏がMBA留学で見つけた未来へのカード

(最初の留学時代の写真)

――MBAに行こうと思ったのはきっかけは何ですか?

MBAという言葉自体も、揶揄(やゆ)されようも、何となく知っていました。

会社では、僕は英語が話せると認知されていたので、取引先の外資系製薬会社に常駐してサポートする仕事が与えられたのですが、その会社に行くと、そこには多くのMBAホルダーがいて、チャレンジングなプロジェクトを任されて回しているわけですよ。もちろん成果が出せず退職する人もいるなどシビアな面もありましたが、「こういう形で、製薬会社内でキャリアップする手段としてMBAがあるんだ」ということを意識しましたね。それでMBA留学をしようと思って準備を始めたわけなんです。

その後常駐先だった製薬会社から声がかかって転職することになり、上司もイギリス人になりましたが、使う英語はあくまでも、得意領域の中での単語です。TOEFLやIELTSで求められるような、ありとあらゆる学問の単語を勉強するのはかなり大変でした。また、今では思い出したくもない、MBA受験生に課されるGMAT試験の準備も、それは苦労しました。

――そして、HULTに1年間留学されるわけですね。

ハルトは世界に6つキャンパスがあります。1年間のプログラムのうち最初の3学期間はロンドンで学び、その後の4、5学期は、キャンパスエクスチェンジ制度を利用して上海とドバイのキャンパスで学ぶことにしました。新興国のマーケットを学びたかったということもありますが、上海とドバイに「住んだことがある」日本人って珍しいですからね。

それぞれの国でビジネス事情や商習慣が違っていて、それが授業にも組み込まれていました。

例えば上海では、不正に対する誠実さを問うような、マイケルサンデル教授の白熱教室を感じさせるような授業もありましたね。

――授業はディスカッションがメインですか?

基本はディスカッションですが、課題を与えられましたし、それをグループワークでリサーチするようなものもありました。「リアルに賄賂などがビジネスツールとして有効に生きている社会において、どうふるまうべきか」、そんな課題を突き付けられるわけです。日本では、そこまで現実感を伴って学ぶ機会はなかったですね。

――クラスメイトは世界各国から?

はい。当初在籍していたロンドンキャンパスには、オーストラリア大陸以外、世界中から来ていました。ロンドンでは同期の日本人は僕ともう一人だけでした。

――理系からいきなりビジネスの世界に変わって、どうでしたか?

苦労はありましたね。勉強そのものの深みという点で、外国語で学ぶのは不利だということは、これから留学を志す方は意識しておいたほうがいいと思います。同じ内容を日本人同士母国語で学びあうほうが深く理解できるし、英語圏ではない国のクラスメイトは、その点では同様に苦労していました。

例えば会計について、日本語で学んだ場合と同じ深さまで到達できたかというと、少なくとも僕の場合はできていなかった。帰国後に専門本を読んでいて「あれは、こういうことだったのか」と分かったときなどに、それを実感しましたね。

「起業は特別なことではなかった」。フィラメント森澤氏がMBA留学で見つけた未来へのカード

MBA留学で、スタートアップは選択肢になった

――MBAを取得したとき、起業というのは身近になかったのですか?

全くなかったです。親戚にもいませんでしたし、自分自身ずっと会社員でしたので、「会社という組織の中でどうふるまうか」ということしかイメージしておらず、自分の人生の選択肢にはないカードでした。MBAは、あくまでも製薬業界、もしくはヘルスケア業界の中でキャリアップするための、ひとつのツールだと考えていましたから。

――では、スタートアップが選択肢に入ってきたきっかけは?

MBAのプログラムの中で、アントレプレナーシップを学ぶ機会があって、ハルトを卒業した起業家のスピーチを聞いたり、スタートアップ向けのイベントに行ったりしたんです。

そんなコミュニケーションの中で、起業家という人たちが、必ずしも自分と別世界の人たちではなく、「ひょんなきっかけで、こういう世界に踏み込んだのだ」ということを知りました。そうなると、がぜん、遠かった起業という選択肢が「全くありえない選択肢ではないな」と思えてきたのです。

――それはいつごろですか?

ロンドンでの後半です。改めて転職活動をするのが面倒だというのがあったかもしれませんが、「まったく別の業界、それもガチガチのルールがあると分かっている大企業に、また行くのもどうかな」と思ったのです。

MBAに行って「人生にはこんなにも選択肢があるんだ」というのを見てきたのに、給料は良いかもしれないけれども、人生の選択肢がぐっと狭まるところに身を置くのは違うのではないかと。

自分の場合、今の選択をする大きな要因のひとつに、留学によって生活の質が一度ドーンと下がったことがあります。当初ロンドンには家族3人で行ったのですが、物価が高いロンドンですし、借金をしての私費留学です。大阪の持ち家を貸して家賃収入はあったものの、子供の学校や安全のことを優先して、26万円!を払って一家3人で1LDKの家に住むという状況だったんですよ。得られる家賃収入より大幅に高く、赤字を出しながら日本の3LDKの家を貸して1LDKに住むという。

ですから帰国後も、家族の誰も以前の生活水準を求めることはありませんでしたし、その他の変化についても理解が得られたことは恵まれていいましたね。スタートアップに挑戦するにあたって、それが大きく作用したというのはあるかもしれないです。

――フィラメントに出会ったのはインターンシップですか?

フェイスブックです。実はロンドン留学当時、大阪市が「生活保護費の支給手段を、現金から電子マネーに変更する」という施策を発表し、それをウェブ記事で読んだんですね。おかしな使い方をされないための対策を兼ねてということでしたが、「これはすごい、面白い」と思いました。

その後、そのアイデアが市の職員から出たものだと知って、「公務員に、こんな柔軟な発想ができる方がいるんだ」というつぶやきをフェイスブック上でしたんですが、その施策のアイデアを大阪市役所内部の提案制度で立案したのが、当時大阪市の職員だった角でした。すると、僕と角を知る人物がそのつぶやきを見てくれて、角を紹介してくれたんですよ。

当時、角は大阪市職員で、「大阪イノベーションハブ」を担当していたのですが、その後、彼は大阪市職員を辞めて独立するのを見ることになります。時を同じくして、僕も「大手企業には入らないで新しいことをやる選択肢もあるな」と考えていたわけですね。

実は、上海とドバイのキャンパスエクスチェンジの間にできた1カ月の空白期間をどう使おうか、製薬会社のインターンも面白くないし……と思っていたところへ、角の「独立して手が足りないので右腕となる人が欲しい」とのつぶやきをフェイスブック上で見つけたんです。それで「1カ月お手伝いできますか」とアプローチしました。角一人だし、やりたいことをやらせてもらえる環境にあるんじゃないかと思いまして。

――その時は、角さんのところで働こうと思っていたのですか?

いいえ。そこまで考えていませんでした。一旦インターンを終わりということにして、ドバイでの学生生活に戻りました。

最終学期が終わると、スイスのダボスで卒業式があり、ロンドンから世界中に散った同級生と再開してさまざまな意見交換をする中で、今後のことを考えました。もし大企業に入った後にスタートアップにチャレンジしたいとなった場合、心理的・経済的、諸々のハードルのが、今の目の前にあるハードルより、どう考えても高い。大企業にはいつでも戻れるし、チャレンジするなら今だと。半分くらいはそこで何らかのスタートアップにチャレンジする心づもりができたのだと思います。

卒業式が終わって帰国後、エージェントやヘッドハンターに話をしたり、いくつか大手企業も受けたりしたのですが、どうもフィットしなかった。それに、もし将来的にチャレンジしたいという気持ちになったときに、たぶん後悔すると思ったのです。それで、フィラメントにジョインすることを決めました。

――角さんは喜んだのでは。

どうでしょうね、助かったとは思います。もうひとり共同創業者がいたのですが、彼も自分のビジネスを持ちつつのサポートだったので、フルタイムで稼働しているわけではなかったですし。

――そこで働いて今に至るということですね。

フィラメントにジョインして、オープンイノベーションや新規事業開発に関わるようなコンサルティングをやっていく中で、複数社でお金と人を出し合って、企業アライアンス型コワーキングスペース「The DECK」を立ち上げるに至りました。設立時はCOOの立場で代表を支えていたのですが、去年の8月に僕が代表を引き継いで今に至っています。

(CEOの角氏左から2番目と。創業当時に比べメンバーは大幅に増えた)

◆スタートアップの魅力、そして「関西」という強み

――「スタートアップ怖くないですか?」と、学生さんから聞かれますが。

小さい組織であればあるほど、どこまで行っても自分のアクション次第ではありますが、触れられる情報の量と幅、深さが圧倒的に違うと、強く思います。

大企業の中で職責が限られた範囲で業務をする人とは、分かり合えないような話ができるようになりますし、スタートアップ時からの代表や取締役という立場だからこそ、開いてくれる胸襟みたいなのもあります。そこはどうしてもしょうがないですよね、こういう立場の人だからこそ話せる話や、分かり合えることがありますから。

――リスクに対してはどうお考えでしたか。

今ほどクリアではなかったですが、伸びしろはあると思いましたし、いつでも戻れるとも思っていました。実際にその後も、ヘッドハンターから定期的に面白そうな案件・ポジションの話が来たりしています。実際に戻るとなれば大変なことはあるとは思いますけれども。

――「就職は東京の方がいいのか」と悩む学生さんもいますが、関西はどうだとお考えですか。

経済や文化、そして近年では観光の面からも、大阪というワードで語られることが増えてきました。今後は大阪万博に向けて投資もされていくでしょうし、関西の伸びしろは、いろんな面であると感じます。

僕がThe DECKをやっていて思うのは、東京で同じことをしても全然目立たなかっただろうということ。関西だからメディアも少なく、注目も分散しづらくて、何かやったときに目立つというのはありますね。それに、どんな分野でもそうですが、「関西だったらあの人」というポジションを得るまでの苦労と、東京で同じポジションを得る苦労とを比べたら、関西のほうが圧倒的に効率がいいと思うんです。

いま、ポストミレニアル世代はジェネレーションZと言われ、価値観が物質的なものから、本質的なところに向かっています。そう考えたときに、ソーシャルグッドとか、心の豊かさを目指す価値観がより体現できるのが「地方」なんです。

必要なのは、地方でも戦える体力、知力、人脈力をつけること。その文脈で一回東京へ行くことがあっても、ずっと東京にいるという人生設計ではなく、いろんなパターンが考えられるのではないかと思っています。

その意味で、地元高知でも何かをしたいと思っていますし、そうしたことがしやすい世の中になってきていると思います。

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