幼少期からみてきたアパレル業界に、社会価値を吹き込む。MESHWell窪田氏がMBAで学んだ新しい価値観

スキマ時間でアパレルの販売員をしたい人と店舗とをマッチングさせる「MESHWell」を運営する株式会社メッシュウェル。代表取締役の窪田光平氏は幼い頃から、父の会社「ベイクルーズ(ジャーナルスタンダード、エディフィスなどを運営するアパレル企業)」が成長していく様子を見てきた。

大手商社に勤務後、父の会社に戻って社内の改革に腕をふるう。米バブソン大学にてMBA取得後メッシュウェルを起業する。MBA取得で得た新しい価値観とは。その華やかなキャリアパスについて伺った。

イギリス出張から海外に興味を持った学生時代

ーー幼い頃は、どのような環境で育ったのでしょうか?

現在はたくさんのブランド、飲食業態を持つ大きな会社に成長したベイクルーズですが、スタートは家族経営です。私の幼い頃は、両親共働きだったため下校後は会社に寄って遊んでいました。裁ちばさみでサンプル生地を切ったり、複写式の伝票に自分の名前を落書きしたりして怒られたこともありましたね(笑)。

会社が大きくなったのを実感したのは、13〜14歳のとき。渋谷区神南に本社ビルが建ち、ジャーナルスタンダードが3フロアに入って、お客様がたくさん来るようになりました。おそらく年商100億円ほどの頃だと思います。

ーーその頃から会社のお手伝いもされていたと伺っています。

家族経営だったので、手伝うのは自然な流れでした。高校生のころは品出しや販売、セール時の販売応援などをしていました。お声掛けをすれば、気恥ずかしそうにしながらも、相談をしてくださるお客様が多く、販売員として相談に乗るということに誇りを持っていました。この経験は今も大事にしています。

大学生になると、バイヤーと共に海外に一緒に行きました。大学一年生のときにはじめてロンドンに行ったのですが、「ザ・ダファー・オブ・セントジョージ」というカジュアルブランドの男性店員に衝撃を受けました。ボロボロのダメージデニムにカチッとしたシャツを着て、ダブルのツイードジャケットにスニーカーを合わせていて。

そんな着こなし、当時の日本では絶対に見ないほどハイセンスで衝撃的だったんですよ。そこからイギリスにハマり、何度か足を運ばせてもらいました。大学3年生の終わりには1年休学してイギリス留学も経験しました。自分の成長をとても感じた贅沢な経験でした。

ーー大学卒業後はベイクルーズではなく大手商社に就職された理由はなんでしょう?

貿易を学べばベイクルーズに戻ったときも役に立つと考え、商社に就職しました。また、生産管理の部分を知ることで、ブランドを持つ企業を外から見る、また様々な仕事のつながりを作ることで、アパレル業界全体を理解できると感じていました。

また海外研修もあると聞いていたので、仕事としてバイイングなどの業務への関わりを商社を通して知ることで、インポートブランド、ブランド誘致にも強くなれると感じていました。そしてイギリス留学経験で一番に感じた外国人の「自分らしく生活するスタイル」を再度体感したいと思っていたところもあります。商社は、その時の私が求めていた沢山の経験機会を有する理想の就職先でした。

バブソン大学 MBA MESHwell窪田氏

 

商社には6年間在籍し、製品輸入代行やニューヨーク駐在、アジアでの生産管理などを担当しました。本当に様々な経験を積ませて頂きました。アメリカには「商社」という概念がないので、商社のブランディングが通用せず、苦い経験をしました。日本とアメリカの商習慣の違いに苦労しましたね。今思えば自分の未熟さが表に出たと感じます。でも、この経験はその後、日本に戻ってから、難しい交渉局面などで「相手を理解しようと努力する」という価値観に変わりました。

ーーベイクルーズに戻った理由やきっかけは何だったんですか?

自分のルーツは「小売り」。商社でBtoBビジネスに関わるうちに、お客様が何を求めているのかという感覚が薄れていく、顧客商売の感覚を失う不安がありました。また商社での経験が増えるうち、周囲からの家業拡大の期待を、私が大きく感じ始めたこともあり、新たな挑戦を決めました

ーーベイクルーズに戻ってからは、どのような業務に就きましたか?

最初に与えられたミッションは「ECサイトのオムニチャネル化」でした。2012年当時、ECサイトは今ほどの市場がなく、ZOZOも前身の「仮想ショッピングモール」からの拡大を画策していた時期でした。

ベイクルーズは当時のアパレル業界では珍しく、早くからECサイトの自社運営化を進めており、社外から経験豊富で優秀な人材(上司)を迎え入れていました。しかし、リアル店舗での対面販売が中心の当時、社内ではEC事業の拡大に意義を唱える声も少なくありませんでした。ただ私自身、どこ(リアルorEC)で商品を購入するかは顧客が決める時代はすぐそこまで来ている、と思うところがあり、上司と一緒に社内を説得して回りました。バラバラにブランドごとに存在するEC担当者を一つの組織に再編すること推し進め、1年ほどかけてサイトをリニューアルしたんです。

その後もその上司と一緒に奮闘して、約70憶円だった売り上げを5年で約300憶円まで成長させました。私がやったことは上司がやったことに比べ微々たるものですが、この成功体験は私の中に色濃く残っています。

その経験以後、現場から上層部への改善要望を多数受けるようになり、返品・返金に関してルール化したり、多忙すぎる部署にシステム導入して改善を図り、カスタマーサポートに寄せられるクレームを分析して上層部に改善案を伝えるなどしました。しかし常に新しいことへのチャレンジだったので、上層部と意見を戦わせることが増えたのがこの時期。上層部を説得仕切れないことが増え、感情的になることが増えて行きました。

そんな中で2015年、ブランドを自分で立ち上げる経験をさせて頂きました。青山に「CITYSHOP」という、飲食とアパレルの複合店舗をオープンさせました。この経験は初めて自分が責任者となって動いたこともあり、とても思い入れがあります。ただこのプロジェクトと並行して、結婚式、そしてMBAにも挑戦していたので、とてもとてもハードな時期でしたので、所々記憶が曖昧です(笑)

MBA取得は父の勧めでした。私も父も現場経験が一番の糧になるという考えがあるものの、父は私の飛躍を期待して後押しをしてくれました。受験したのは、バブソン、クレアモント、あとUCLA、UCSDにアプライしました。東海岸を過去経験したこともあり、西海岸の文化に強い興味がありました。そんな中、最初に願書を出したのがバブソン、最初に面接して合格したのもバブソン。起業家を育てる教育で有名、ファミリービジネスにも強く、ボストンのネットワークも魅力的でした。縁を感じて進学を決めました。

MBAで気づいた価値観ーー「曲げる」ではなく「付け加える」

ーーバブソンではどのような生活を送っていましたか? 印象的なこともあったら教えてください。

バブソンは厳しい学校で、最初の半年は1日14時間ほど机に向かいっぱなし。移動・食事・睡眠以外の時間は、ほぼ勉強していました。アメリカでは授業中に発言しないと出席したことにならず、グレードがどんどん下がります。板書を書き写して丸覚えする教育で育った日本人の私にとって、発言しないとポイントの付かないプレッシャーはかなりきつかったですね。あまりに発言できず、教授に泣きついたこともあります。30歳過ぎたいい大人なのに(笑)。

 

(バブソン大学にて。窪田氏提供)

バブソンの授業でよかったのは、モジュール1からアントレプレナーシップの必修授業があったこと。はじめての授業は「5ドルを来週までにできる限り増やす」というものでした。何をやってもよかったので仲間と色々なアイデアを出し合いました。とても面白かったですね。入学して2ヶ月後には「ロケットピッチ」という、90秒で自分のアイディアをピッチする授業もありましたよ。バブソン は世界中からファミリービジネスの後継が多かったので、話の合う友人が数多くできたこともよい収穫でした。

日々フルスロットルに過ごす中で思ったのは、「変革をムリに行うと、ひずみが生まれやすい」ということ。何かを「変えたい」という気持ちに間違いはないと今も思っています。でも変えることはとても難しいことです。自分は「変えること」にこだわり続けていましたが、それは間違いだったなということに気づきました。

だったらどうするのか? それは、変える・曲げるのではなく「付け加える」。新しいものを付け加えて、選択肢をつくる。どちらを選ぶかは皆に考えてもらうべきだ、と。選択肢を1つ増やして選べるようにする方が、人に優しいかなと思いました。

ーー起業しようと思ったのもMBA時代だと伺いました。そのきっかけは何だったのでしょうか?

MBA1年目が終わった春休み、アメリカ人20人と一緒に帰国しました。皆で東京観光した夜、たまたまベイクルーズのお店に立ち寄り買い物する機会がありました。ありがとうという気持ちで差し入れをしたとき、スタッフにとても喜ばれたのですが「忙しくて飯食えないやつもいるので助かります!」と言われました。この一言が強烈に突き刺さって、今も頭の中でリフレインしています。

たくさんの経験を積ませてもらい、MBAまで行かせてもらうという恵まれた環境にいる自分がビジネスをもっと広げていかなくてはならない。自分の経験を活かし、できるだけ多くの人を幸せにする方法を形にしたい、そう思いながらアメリカに戻ったのを覚えています。

以降は今まで以上に情報に貪欲になりました。早々に興味の強かった西海岸を周り、ビジネスオーナーや教育者、コミュニティを始め、多くの人と会いました。そのうち正規雇用ではなくフリーランスで働く若いアメリカ人が増えているという情報をつかみ、「専門性を生かした働き方」に目が向くようになりました。

MBA2年目の夏、AIの授業を取りました。どこか想像しきれなかったAIが、ぐっと身近に感じるようになり、AIを利用した人材マッチングサービスをアパレル業界向けに展開するイメージが浮かんできました。これがMESHWellの原型です。このアイディアを元に友人と一緒に深めていき、アドバイザーと契約してサービスのプロトタイプを作った状態で帰国しました。

ーーメッシュウェルを起業してから、最初は苦労したと伺いました。どのような点に苦労されたのですか?

「フリーランスで接客の仕事をする」という働き方を理解頂くことです。アパレル業界にとってフリーランスという概念はそれまで存在しないものでした。しかしこの働き方が常識になれば、販売員の収入は増え、お店はコストダウンが見込め、お客様は最高のサービスを受けられるようになります。新しい常識・新しい選択肢を付け加えることが私の大切な価値観。どうしても実現したいと思いました。

MESHWellは、最初、あるスポーツ系ブランドにお願いしてテストさせてもらいました。ポップアップストアで1週間サービスを利用してもらい、とくに問題なく運営できることがわかったので、徐々に他のブランドにも展開。約5ヶ月で100件のマッチングが完了して、クレームはなし、「これはいける」という手応えを感じましたね。

2019年1月からはテストと平行して有料プランを営業し、2月にローンチ。一気にスタートを切りました。

ーーMESHWellを正式ローンチして2ヶ月目ですが、手応えはどうですか?

マッチング件数はまだ少ないですがとても順調に伸びています。ただ課題はたくさんありまね。主には販売員の数が不足していること。限られた資金をうまく回しながら、少しずつ獲得数を増やしています。登録する販売員のモチベーションはとても高いので、彼らが活躍できる場をもっと提供していきたいですね。

ーースタートアップへの就職やMBA取得・起業をする上で、安定したキャリアを失うリスクや、お金がかかるリスクをどう乗り越えたか、という質問を学生からよく寄せられます。窪田さんはどう捉えていますか?

リスクをとって失敗したからといって死ぬわけではありません。チャレンジしたいときに行動しないと後悔すると思ったので、私は動きました。前に踏み出せない人には、「本当にその仕事をやりたいのか」「なんのためにやりたいのか」を聞きますね。それがとくに思い浮かばないのなら、やらない方がいいでしょう。起業で一番大切なのはやはり情熱だと思います。

ーーこれからMBA取得を考えている人に、アドバイスがあればお願いします。

バブソンで一番印象的だった価値観は、「経済価値だけ追いかけるのではなく社会価値も同時に並立させないと、アントレプレナー失格だ」ということ。この格言が一番今に生きています。MBAを取りたくて行ける環境なら、実行した方がいいですよ。何を得られるのか考える前に行動した方が、得られるものは大きいと思います。

海外では自分から取りに行かないと情報もチャンスも入ってきません。バブソンでは困りに困ったら助けてくれる人はたくさんいて、人の暖かさを感じました。自分から行動する姿勢や素直に思いを発信していくことは、今のビジネスにも生きています。ぜひかけがえのない経験を積んでください。

(文)金指 歩

(取材・編集・写真)納富 隼平

RECOMMEND

PICKUP

SCROLL TO TOP