度胸とアイデアが一番の収穫。留学で確信した「リスクとの向き合い方」

留学中のある事件をきっかけに、トイレ(排尿)のタイミングを事前に知らせるDFreeを開発したトリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社の中西さん。
“起業するため”に留学へ行った経緯や、留学先のシリコンバレーでの経験を中心に起業までのお話を伺いしました。
プロフィール
慶應義塾大学商学部卒。大手企業向けのヘルスケアを含む新規事業立ち上げのコンサルティング業務に従事。その後、青年海外協力隊でフィリピンに派遣。2013年よりUC Berkeleyに留学し、2014年に米国にてTriple Wを設立。2015年に当社設立。
会社概要
トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社。2015年2月創業。「世界を一歩進める」というミッションを掲げて事業を行っており、2017年に世界初の排泄予測デバイス「DFree(ディー・フリー)」を開発しました。「生体情報の予測で不測の不幸をなくし、その人がその人らしい人生を生きる」ことを実現することを目指し、日々プロダクトの開発を進めています。
社長になりたかった少年時代と青年海外協力隊時代
━中西さんは海外に興味を持ったきっかけが何かあったのでしょうか?
元々そこまで海外に興味はありませんでしたが、昔から起業したいとは思っていました。普通に東京でサラリーマンをしている時にリーマンショックが起きて、社会がどんどん保守的になるのを感じました。いかにコストを削るかという風潮で、起業したいと思っていたけれどそんな状況ではなくなってしまった。
―何歳くらいの時から起業を意識し始めたのでしょうか?
小学校5、6年くらいの頃にビルゲイツが世界で一番すごい会社を作ったともてはやされていて、幼心に「すげーな」って思って。それがきっかけです。自分は三男ですが、家族が「いい大学に行け」という方針で勉強することには協力的でした。両親も公務員だけど、保守的な道を強制されることもなくて。また、祖父が事業をしていたことも影響しています。そうした背景もあって、将来は社長になりたいなと思うようになりました。
―海外ありきではなく、起業ありきだったんですね。
そうですね。リーマンショックが起きて、日本にいても起業は難しいし途上国に行こうと、青年海外協力隊を選びました。協力隊時代はフィリピンの山奥の片田舎で2年間過ごしましたが、そんな山奥でもFacebookとかアップル製品とかが広まってくるんですよ。これはすごいなと思いましたね。
任期の2年間が終わって日本に帰るかどうするかというタイミングに、この経験がアメリカ行きの決め手になりました。もちろん英語をもっとちゃんと習得したいという思いもありましたけれど、それ以上にフィリピンで受けた衝撃が強くて。シリコンバレーに行くしかないという想いで、アメリカ行きを決めました。
”起業するため”に行ったアメリカ留学
―アメリカではどのようなことを学ばれたのでしょうか。
外国人を対象にしたプログラムで、MBTコースというものを履修しました。ビジネススキルを集中的に学ぶコースです。3つに期間が分かれていて、最初の4ヶ月でファイナンスを学んで、次の4ヶ月でグローバルビジネスマネジメント。最後の4ヶ月は企業でのインターンになります。
(留学時代の写真。中西氏提供)
―留学中の過ごし方はどのようにされてましたか?
しっかりと勉強していましたよ。向こうの大学は認定も結構厳しいので、卒業する為に必死でした。
けど、今になって役に立ってるのはプログラムで学んだことよりも、英語で過ごす中で身についた物怖じしなさですね(笑)。周囲に日本人がいないので、英語でやり過ごすしかないわけですよね。土壇場を乗り切る力がついたのは、ある意味一番起業に役立っているのかもしれません。
MBTコースにはほとんど日本人がいませんでしたが、PHDには日本人が結構いたのでそこからコミュニティを繋げてもらって、今も付き合いがある人もいますよ。たまに飲みにいったりします。
(中西氏の著書「10分後にうんこが出ます: 排泄予知デバイス開発物語」にも登場するミライセルフの表氏とは留学中にで出会う。表氏のストーリーはこちらから)
シリコンバレーのエコシステムに飛び込んで
―1年って、結構あっという間ですよね。
そうですね。大学に行きながらも、どこにベンチャーエコシステムの入り口があるのか探ってました。
大学行きながらもインターン先を探すわけですが、受け身では糸口がないので、自分で探して、イベントに行って、特にインターン募集はしてない企業でもお願いして、それでやっとつながるような感じ。それしかなかったんですよね。
当時インターンしてたVCに入る時も、イベント行って担当者つかまえて、面談したら「僕らが出資している企業が日本進出すべきか否かを、市場分析して応えよ」という宿題を与えられて、それを提出して、また面談してやっと決まった感じでしたね。
―起業のアイデアはインターン時代に生まれた?
起業ありきで渡米していたので、起業はずっと視野にありました。インターンしていたVCで事業のアイデア20個くらい出して、プレゼンの結果選ばれたアイデアがあったので、そこから本格的に起業に向けて動き出しました。
―ビジネスモデルとしては日本でもできる内容だけど、どうしてアメリカで起業しようと?
当時はアメリカでちょうどYコンビネーターとかが流行っている時で、スタートアップ環境が結構よかったんですよ。やりやすい雰囲気があった。第一歩を踏み出すには日本よりいいかな、と当時は考えていました。
留学で得られたもの
―最終的に日本でも活動する形になったわけですが、留学やシリコンバレーに行ったことで、日本でも役に立つことはありましたか?
なんだかんだUCバークレーという名前に強さはあるので、自分のポートフォリオの信頼度はすごく上がったと思います。VCに出資の話に行く時も、それで少しは入り口のハードルが下がります。
―あとは、うんこをもらした経験。
日本にいたら多分うんこもらしてないですね。トイレがたくさんあるから(笑)。うんこをもらしたのが今のビジネスにつながってるわけだから、冗談みたいな真面目な話。実を言うとそれが一番大きな経験だったのかもしれないです。
他では、VCでのインターンの経験がすごくプラスになったなと思います。VCにいると成功している起業家とも出会えるし、そういう人にビジネスプランをプレゼンするのはすごくいい刺激になる。そこで、「そのアイデアいいね」と言ってもらえたから起業して今があります。
(オフィスのエントランスには、過去のビジネスコンテスト等で受賞したトロフィーや賞状が並ぶ)
学生へのメッセージ
―スタートアップに興味があるけど、漠然と不安感を抱いている学生って結構多いんです。中西さんはどのように不安と向き合っていますか?
殺されることはない。どんな失敗をしても命まで取られることはありません。人生一度だし、やらなかったらそれで人生は終わり。やりたいことがあるなら、やるのとやらないのとではどっちがリスクなのか?
人によって考え方は違うけど、自分の場合はやらない後悔をしたくないんです。失敗してもかまわないし、やってみてダメだったけど自分は後悔していないって言えればその方がいいですよね。お金はあの世に持ってけないですし。
後悔したくないというよりは、もっと単純に、面白いことを常にやり続けたいと思っています。
―新卒でベンチャーに入ることに関してはどう思いますか?
リスクを気にしてるんだと思いますが、大企業でもベンチャーでもリスクはあるし、どちらに行っても嫌になったら辞めればいいだけの話です。さっきも言ったけど、命までは取られませんから。やり直すことはいくらでもできます。
―最後に、メッセージをお願いします。
実は、積極的に自分からリスクを取りに行けば、リスクには慣れることができます。大事なのはいきなり大きな挑戦(例えば紛争地帯に行く、いきなり起業する)をするのではなく、自分の知らないコミュニティに入り込んでみるとか、専門外の勉強をしてみるとか、そうした小さなチャレンジを繰り返して失敗に慣れていくことです。そうやって挑戦していけば、意外と失敗することって大したことじゃないなって気づくと思います。ちょっとした挑戦を繰り返すことが可能性を広げてくれるはずです。
―ありがとうございました。
(文・編集)浅田茉美 (写真最初の2枚 )日野拳吾